基準値と正常値


坂本ニ哉● 元日本心臓病学会理事長
「基準値とは」
 人間ドックや健康診断を受けたり、あるいは外来や入院で検査を受けると、沢山のデータが
戻って来る。レントゲン写真とか心電図など、数値ではなかなか測りきれず感覚的な判定に
委ねられる情報を除くと、あとは色々な数値の山が残される。御承知のように、
血清総コレステロール値が180mg/dlだの、あるいは230mg/dlだのといった数値である。そして
例えばある検査センターでの報告書ではこの値が130-229mg/dlと書かれていて、
自分の成績が230とか231mg/dlだと、それだけで厭な感じとなり、またそれを誇大に説明して、
被検者の方を驚怖に陥し入れる医師や栄養指導の方がいたりする。
 これらはすべて統計というものの、いわばまやかしである。広い意味ではウソである。
ウソといっても、(トム・ソーヤの冒険などで高名な)米国の小説家マーク・トゥエンの言によると、
世の中には3種類のウソがあって、その一つは単純なウソ、もう一つは本当のことを黙っている
類のウソ、そしてもう一つは、この小稿で問題となっている統計学を使ったウソである。
私の同級生に医療統計の専門家がいるが、この統計学なダマカシは日常茶飯のことで、
本来全く無関係のことが、別の方法を用いて検討するときちんとした関係を出せるものだと
称していた。そうでなくてももっともらしいウソは多い。一番多い大きな誤りは、ある相関関係を
もって、それらがあたかも因果関係があるかのように語られることである。
 本当にあった話を一つ例示しよう。高血圧は現在人口の5%程度の人が罹患しているほど
ポプュラーな病気であるが、ある高名な学者が高血圧の発症と社会的、医学的、その他
さまざまな囚子との統計的解析を行ったところ、発症率の上昇はテレビの売上げ台数に
もっとも密な相関を示した。1960年代のことである。この相関は本来まったく無関係のものが、
統計というマヤカシによってあたかも因果関係があるかのように作りあげられた虚構(ウソ)の
好例として語り伝えられている。
 さて本題に入るが、こういう統計に基いて健診データの基準値が作られる。しかしこの場合は
データベースが限られているから仕事は簡単である。いろいろなデータについては医者は
あれこれと話したり、それを無視する人もいるが、例として、まず誰も高いの低いのと語らない
身長を例にとってみよう(体重だとか肥満度など、これから先、変えることが可能なものについては
あれこれ云っても、君は背が高すぎるとか低すぎるとかといって注文をつける医者はあまり
いないからである)。
 ヒトの身長は年齢とともに増し、おおよそ20〜24歳で身長から見た成長は止まる。
そしてその身長は低い人では135cm、高い人ではプロレスラーのように2mを超える。
だがその両極端を病気だ、異常だという人はほとんどいない。今非常に沢山の人の身長を、
例えば1cmごとに区分けしてその度数(各cm毎の頻度)を並べてみると、それはあるところを
中心にして、低い方(左側)と高い方(右側)とに広く分布する。そして生物学的には左側も右側も
同じような肩下がりを示す。これを正規分布といい、肩は緩やかなことも、急峻なこともある(図1)。
このさい、全員の身長を足して人数で割ったものが平均値(m)であり、通常、沢山の人数を
集めると、このmは山の頂点に来る。これが世のいう並の背丈である。
              すべての計測値の累積
    平均値(m)=――――――――――――
                 個  数
 だが人間の背丈はこの平均値だけでは表わせない。その分布は非常に広い幅を
持っているからである。そこでどれ位が大よそのところか、つまり基準となる背丈とは
どの位かという考えが湧く。これは例えば日本人とほかの国の人との対比などには
大切な点である。この場合、山の裾の広がり方が参考になる。
 少し難しい話になって恐縮だが、裾の広がり方(分散の形)を示す一つの方法として、
標準偏差(SD)という表示法がある。計算方法は省略するが、知っておくべきことは、
この標準偏差が大きいほど前述した山の傾き(勾配)は緩く、小さいほど急峻だということである。
医学の統計では山の左右の方向に2×標準偏差(±2SD)を加え、
  平均値(m)±2SD
をとってその統計値の「基準値」としている。そうすると山全体のかなりの部分がこの中に
入って来て、めでたしめでたしとなるのである。
 だが、少数だが、“正常例”でもこの基準値から外れる者が出て来る。しかしこれらの外れ者が
直ちに“異常者”だといえるか否か、問題はここにあり、健診を受ける側と結果を伝える医師側の
慎重な判断が必要とされる。正常者を対象として出した統計なのだから、基準値を外れても、
正常は正常なのだからである。
 さてそれでは改めて「正常値」とは何か考えてみよう。しかし残念ながら、実は
「正常とは何か」について、明確な答えを出せる人はいないのである。正常とは、しいていえば
異常でない、という答しかない。答は哲学的で科学の領域をはみ出している。
実は基準値という語を用いたのは、「正常と異常」といった論争を避けるためであったのである。
 正常者が基準値を外れたいわゆる異常値を示す一方、異常者が正常値を示すこともある。
いやその方が多い。それ故、計測された値をみて、その一つ、二つが基準値を外れているから
といって、落胆したり騒いだり、また医者の方でもこれみよがしに再検が必要とかといって
被検者にストレスを与えるのは、共に愚である。そして一方において、自分が病気でありながら、
検査値が基準内にあるから絶対に大丈夫だと楽観するのも愚かしい。
物によってはこの基準値内におさまっている方が良いに決っているが、背の高い人に
いくらお説教しても背が縮む訳ではないので、例えばいつも体重が標準を
オーバーしているからといって、関連する他の所見を考慮せずに、その人が異常だと強迫的な
言辞を弄する医師は愚か者である。肥った人がおり、痩せた人がいるからこそ、
平均値が生れることを銘記すべきである。健診は“病気を創り出す”方法ではないのである。


次頁へ